SSブログ

イッセ-尾形のつくり方 新潟編 その3 [演劇]

 3日目、昼の部。まずは、歩くことからスタート。歩き方は一人一人がちがう。誰か一人のまねをしてみるが、さまざまな歩き方が生まれる。同じ人をモデルにしていても、それぞれの歩き方の個性が加わることによって、全くちがうものになっていた。
 森田さんから「祭り」でやってみようと提案があった。やる気がないが、動員されてしまい、しかたなく集まる人たち。しかし、リーダーがいなくなってしまい、抜けるに抜けられず、気まずい感じの祭りを作ることになった。祭りの様々な係や委員会を作って、グループ分けすることになった。「豚汁係」「ゴミ拾い」「たこ焼き」・・・参加者たちが自由にグループ分けを行った。
 ところが、だれともグループをつくれず、一人になった男性がでてしまった。70代で参加最年長のその男性は「盆踊り」を提案したが、誰もあつまってはくれなかった。
 「わざと仲間はずれにした人いる?一人にしてしまった理由の分かる人はいる?」森田さんが参加者になげかけた。誰もが、理由などわからないし、理由なんてないのかもしれない。
「これって社会の様子を表しているよね」と森田さん。
 いじめは、本当は、誰も、いじめてる理由なんてわからないのかもしれないし、誰も意識的にやったわけではないが、おこっているのかもしれない。
「何があったか、どうしてかわからないなら、やってみよう」
 現実に、人を無視することをやってしまうと、やる側も、やられる側も傷つきすぎてしまう。しかし、芝居と割り切ってやってみれば、人を無視するとどんな気持ちになるか疑似体験ができるかもしれない。一人一人が何を感じるか、試してみようというのである。
 ベンチに、一人で座る男性。気にとめることもなく、その前を何人もが通りすぎる。話しかけようとするが、けむたそうに足早にとおりすぎたり、ベンチに座るが話しかけられると逃げ出したり・・・・
 不思議と少しずつ、芝居になってきた。しかし、嫌がっている人をやろうとすると、「嫌がっている人」をやろうやろうとしているように見えてしまう。それは、森田さんの求める芝居ではないのだろう。
「勝手にやっていいのはこの人だけ」と森田さんはベンチに座る男性をいう。それは、演じるキャラクターがしっかりできているため、どんなに前を人が通りすぎようとも、話しかけられようとも、キャラクターを崩すことなく、演じることができているからだ。
 男性の顔がぱっと明るくなった気がした。明らかに、森田さんの一言で、自信をもったようにみえる。他の人には「無視する」芝居を経験したことで、それぞれの心に何か変化が生まれたようだ。
 このワークショップは決して、芝居をするだけのものではない。一人一人がなにかをつかもうともがいているようだ。いよいよ、明日は最終日。そして、あさってには本番がまっている。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。