ルードウィヒ・b 12月12日昼 大阪シアターBRAVA! [ジャニーズ出演 舞台]
改めまして、なんとなくではありますが、感想を。
帰りにアップしたのと同じく辛口です。
毒はいてます。ご注意を。
手塚治虫の未完の大作「ルードウィヒ・b」。主人公であるルードウィヒ・バン・ベートベンの苦悩と第九が誕生するまでの生涯を名曲とともに綴る音楽劇。
酒に溺れながら、貴族の前で歌う父を嫌悪しながら、ピアノの腕を磨くルードウィヒ。母のすすめもあり、尊敬するモーツァルトのもとで学ぶことになる。
母を救うことができなかったヤブ医者が「ルードウィヒ」という名であったことと、父から音楽を禁じられたフランツからいわれなき恨みをかって痛めつけられ、それが原因で次第にルードウィヒの耳は聴力を失っていく。
少しずつ衰える聴力、母の死・・・苦しみながら、音楽をつくり続けるルードウィヒが目指す「交響曲」を完成するのか・・・・・・・
・・・・・・・・と、これ、ざっくりしすぎる内容の軽い説明。
これをみただけでも、物語にいろいろな要素が詰まっているのはわかるとは思うが、とにかくエピソードがやたらと詰まっている印象。
そのわりに途中、間延び感を感じてしまうのは、聴力が衰えていく過程がとにかく長い。
そして、やたらと全編にわたって、もがき苦しむ演技が多すぎる気がしてならない。
苦悩するルードウィヒをはっしーは、なかなかうまく演じていた。
いつもの印象とは全く違う。ルードウィヒとして苦しみ、もがき続ける。
・・・・余談だが、どうしても、ああいう演技を見ると
「兄さん、頭が痛いよ・・・兄さん」(by武田真治 映画「ナイトヘッド」)
を思い出してしまうのは私だけだろうか・・・・・・・・・
話を戻して・・・・・・・・・・
はっしーのルードウィヒがなかなかいいだけに、
とてもあっさり死んでしまう母さんとか、
アル中でボロボロなのに、無理矢理いい人感をださせられているかんたっぷりの父さんとか、
描き方が雑な気がしてならない。
フランツもそう。
なぜルードウィヒに恨みをもつのかは歌で一応は説明してくれるが、
「そんなむちゃくちゃな」と突っ込みをいれたくなってします。
後半いい人になるのだが、これがまた、子供を託されて、その子とともに生きることになり、急にいい人になる。
「そこ!!丁寧に描いてくれないのか!!」とこれまた突っ込みをいれたくなる。
姜暢雄さんが男前で、なかなか演技も迫力あったのに、もっと見たかったな・・・と思う。
知念里奈さんがいるし、音楽劇だから、歌うよね!!と期待していたら、それほど歌わなかった。
そう思うとシーラブの時は気持ちよく迫力のある歌ですごくよかった記憶があるから、もっと聞きたかったな・・・。なぜ、ここを活用しない・・・と突っ込みいれたくなる・・。
と、まあ、主要キャストの存在がなんか軽い。
もったいないなあ・・・これだけ集めてきてて、・・・とこれまた突っ込みいれたくなってしまう。
・・・・で、郁人はというと、
演じるのは、ルードウィヒの師となる「モーツァルト」と、フランツに助けられ養子となる「ユリシーズ」。
これまた余談だだ、そういや、「ユリシーズの瞳」って映画あったよね・・・これとはまったく関係ないけど・・・・・・・・・・・・
モーツァルトの軽さ、いい加減さ・・・などなど変人っぷりを動きで見せてみてくれて、アドリブ的なものも多いんだけど・・・・残念ながら、河合郁人。
モーツァルトなんだが結局、いつもの河合郁人にしか見えない。
そして、これまたW主演をうたったわりに、モーツァルトもいきなりあっさり死ぬ。
もう、こうなると・・・突っ込みいれながら笑えてくる。
そして、後半登場してくるユリシーズなんだが、育ちがそれなりによい・・・雰囲気をだしているのもわかるけど、、、なぜ、そのメトロノームとかリズムとかって話でそこで踊るのか・・・。
その前のフランツの様子になっったくだりまでは普通に笑えるんだけど、あの踊りでなんか、もうおなかいっぱい。
河合郁人はやっぱり郁人で。。。モーツァルトでもユリシーズでもなく、郁人だった・・・・という印象でしかない。
第九へむかっていく下りはやっとエンジンかかってきて面白くなっていくような気もしたが・・・
ああああああああああ、
なぜに、なぜにそこで、第九を止めてしまうのだ!!
盛り上がってきたのに!!なぜ、止めてしまう。
そして、死んだ人たちの映像・・・・・
この映像で、一気に気分は軽くなるし、
その映像の出方が、もう途中から、ジャニワの最後にでてくる先輩映像か!!とツッコミたくなるくらい、残念感が・・・。
あそこは、もうみんなが空から見守ってるのはわかるし、その人たちの思いをベートベンが胸にしているのもわかるから、そこをひっくるめて「歓喜の歌」で一気にしめてほしかった・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・と、
なんかすみません・・・。
こんな感じです。
なんだか、こう、引き込まれそうになっていくと、ツッコミいれたくなる演出がでてきて、戻される・・・・というサイクルのまま最後までいってしまった・・・・・・・。
アドリブとかも、笑っている人はチラチラいたけど、会場全体が笑っている感じでもなかったし、なんだろうな。。。結局ヲタへのヲタが楽しめればいいかなというもので。。。。なんか、やっぱりそこを超えてはくれなかったな・・・と。
もちろん、ヲタが喜ぶように作って、ヲタが喜べれば、それはそれでいいんだとは思うんだけど。
私が見たかったのは、やっぱりそこじゃなかったな・・・と。
「シーラブの時もそのレベルだった」と言われたらその通りなんだが、
あの時は、一応まがいなりにも東宝ミュージカルで、アンサンブルの人たちもみんなすごくうまかったし、それぞれ脇役の見せ場も多くて、満足度が高かったんだよなあ・・。
それに、あの頃から、もう何年もたっているわけで・・・。
Jr.からデビュー組になってるわけだし、
この年月で積み上げていけるものもあったはずだから・・・
やっぱり期待してしまうのだよ・・・・・「ジャニ的」なものを超えていってくれるんではないかと。
「彼らは、ジャニ舞台ばかりやらされていたからしかたない!」
「経験がたりないからしかたない」
「事務所が与えてくれなかった」
という声も聞こえそうだけど、
こういうのって、今回みたいな別のチャンスがきたとき、いくらジャニ舞台しか経験がなくたって、つかむ人はつかむんだよね・・・・。
どんなに小さい役でも、脇役でも光る人は光る。
チャンスをつかむ人はつかむ。
人を魅了する人は、魅了する。
そういう意味では、はっしーは、なにかをつかんだかもなあ・・・・と思う。
郁人にも期待したんだが。。。やっぱり超えていってはくれなかった印象が。
郁人にもジャニ舞台演技の枠を超えていってほしいなあ・・・。
そういう姿が見たい。
とっても見たい。
郁人がジャニ舞台演技を超えることができるとしたらそれは、どんな舞台なんだろうか。
ミュージカル?ストレートプレイ?商業的舞台?小劇場系?喜劇?悲劇??
うーん、なんだろうなあ・・・・・・・・
でも、超えてくとこをそろそろ見たい。
感想だか、なんだか・・・よくわからない話になってきたので、そんな感じで!
なんかいろいろ難しいなあ・・・・・いろいろ思うなあ・・・・。
帰りにアップしたのと同じく辛口です。
毒はいてます。ご注意を。
手塚治虫の未完の大作「ルードウィヒ・b」。主人公であるルードウィヒ・バン・ベートベンの苦悩と第九が誕生するまでの生涯を名曲とともに綴る音楽劇。
酒に溺れながら、貴族の前で歌う父を嫌悪しながら、ピアノの腕を磨くルードウィヒ。母のすすめもあり、尊敬するモーツァルトのもとで学ぶことになる。
母を救うことができなかったヤブ医者が「ルードウィヒ」という名であったことと、父から音楽を禁じられたフランツからいわれなき恨みをかって痛めつけられ、それが原因で次第にルードウィヒの耳は聴力を失っていく。
少しずつ衰える聴力、母の死・・・苦しみながら、音楽をつくり続けるルードウィヒが目指す「交響曲」を完成するのか・・・・・・・
・・・・・・・・と、これ、ざっくりしすぎる内容の軽い説明。
これをみただけでも、物語にいろいろな要素が詰まっているのはわかるとは思うが、とにかくエピソードがやたらと詰まっている印象。
そのわりに途中、間延び感を感じてしまうのは、聴力が衰えていく過程がとにかく長い。
そして、やたらと全編にわたって、もがき苦しむ演技が多すぎる気がしてならない。
苦悩するルードウィヒをはっしーは、なかなかうまく演じていた。
いつもの印象とは全く違う。ルードウィヒとして苦しみ、もがき続ける。
・・・・余談だが、どうしても、ああいう演技を見ると
「兄さん、頭が痛いよ・・・兄さん」(by武田真治 映画「ナイトヘッド」)
を思い出してしまうのは私だけだろうか・・・・・・・・・
話を戻して・・・・・・・・・・
はっしーのルードウィヒがなかなかいいだけに、
とてもあっさり死んでしまう母さんとか、
アル中でボロボロなのに、無理矢理いい人感をださせられているかんたっぷりの父さんとか、
描き方が雑な気がしてならない。
フランツもそう。
なぜルードウィヒに恨みをもつのかは歌で一応は説明してくれるが、
「そんなむちゃくちゃな」と突っ込みをいれたくなってします。
後半いい人になるのだが、これがまた、子供を託されて、その子とともに生きることになり、急にいい人になる。
「そこ!!丁寧に描いてくれないのか!!」とこれまた突っ込みをいれたくなる。
姜暢雄さんが男前で、なかなか演技も迫力あったのに、もっと見たかったな・・・と思う。
知念里奈さんがいるし、音楽劇だから、歌うよね!!と期待していたら、それほど歌わなかった。
そう思うとシーラブの時は気持ちよく迫力のある歌ですごくよかった記憶があるから、もっと聞きたかったな・・・。なぜ、ここを活用しない・・・と突っ込みいれたくなる・・。
と、まあ、主要キャストの存在がなんか軽い。
もったいないなあ・・・これだけ集めてきてて、・・・とこれまた突っ込みいれたくなってしまう。
・・・・で、郁人はというと、
演じるのは、ルードウィヒの師となる「モーツァルト」と、フランツに助けられ養子となる「ユリシーズ」。
これまた余談だだ、そういや、「ユリシーズの瞳」って映画あったよね・・・これとはまったく関係ないけど・・・・・・・・・・・・
モーツァルトの軽さ、いい加減さ・・・などなど変人っぷりを動きで見せてみてくれて、アドリブ的なものも多いんだけど・・・・残念ながら、河合郁人。
モーツァルトなんだが結局、いつもの河合郁人にしか見えない。
そして、これまたW主演をうたったわりに、モーツァルトもいきなりあっさり死ぬ。
もう、こうなると・・・突っ込みいれながら笑えてくる。
そして、後半登場してくるユリシーズなんだが、育ちがそれなりによい・・・雰囲気をだしているのもわかるけど、、、なぜ、そのメトロノームとかリズムとかって話でそこで踊るのか・・・。
その前のフランツの様子になっったくだりまでは普通に笑えるんだけど、あの踊りでなんか、もうおなかいっぱい。
河合郁人はやっぱり郁人で。。。モーツァルトでもユリシーズでもなく、郁人だった・・・・という印象でしかない。
第九へむかっていく下りはやっとエンジンかかってきて面白くなっていくような気もしたが・・・
ああああああああああ、
なぜに、なぜにそこで、第九を止めてしまうのだ!!
盛り上がってきたのに!!なぜ、止めてしまう。
そして、死んだ人たちの映像・・・・・
この映像で、一気に気分は軽くなるし、
その映像の出方が、もう途中から、ジャニワの最後にでてくる先輩映像か!!とツッコミたくなるくらい、残念感が・・・。
あそこは、もうみんなが空から見守ってるのはわかるし、その人たちの思いをベートベンが胸にしているのもわかるから、そこをひっくるめて「歓喜の歌」で一気にしめてほしかった・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・と、
なんかすみません・・・。
こんな感じです。
なんだか、こう、引き込まれそうになっていくと、ツッコミいれたくなる演出がでてきて、戻される・・・・というサイクルのまま最後までいってしまった・・・・・・・。
アドリブとかも、笑っている人はチラチラいたけど、会場全体が笑っている感じでもなかったし、なんだろうな。。。結局ヲタへのヲタが楽しめればいいかなというもので。。。。なんか、やっぱりそこを超えてはくれなかったな・・・と。
もちろん、ヲタが喜ぶように作って、ヲタが喜べれば、それはそれでいいんだとは思うんだけど。
私が見たかったのは、やっぱりそこじゃなかったな・・・と。
「シーラブの時もそのレベルだった」と言われたらその通りなんだが、
あの時は、一応まがいなりにも東宝ミュージカルで、アンサンブルの人たちもみんなすごくうまかったし、それぞれ脇役の見せ場も多くて、満足度が高かったんだよなあ・・。
それに、あの頃から、もう何年もたっているわけで・・・。
Jr.からデビュー組になってるわけだし、
この年月で積み上げていけるものもあったはずだから・・・
やっぱり期待してしまうのだよ・・・・・「ジャニ的」なものを超えていってくれるんではないかと。
「彼らは、ジャニ舞台ばかりやらされていたからしかたない!」
「経験がたりないからしかたない」
「事務所が与えてくれなかった」
という声も聞こえそうだけど、
こういうのって、今回みたいな別のチャンスがきたとき、いくらジャニ舞台しか経験がなくたって、つかむ人はつかむんだよね・・・・。
どんなに小さい役でも、脇役でも光る人は光る。
チャンスをつかむ人はつかむ。
人を魅了する人は、魅了する。
そういう意味では、はっしーは、なにかをつかんだかもなあ・・・・と思う。
郁人にも期待したんだが。。。やっぱり超えていってはくれなかった印象が。
郁人にもジャニ舞台演技の枠を超えていってほしいなあ・・・。
そういう姿が見たい。
とっても見たい。
郁人がジャニ舞台演技を超えることができるとしたらそれは、どんな舞台なんだろうか。
ミュージカル?ストレートプレイ?商業的舞台?小劇場系?喜劇?悲劇??
うーん、なんだろうなあ・・・・・・・・
でも、超えてくとこをそろそろ見たい。
感想だか、なんだか・・・よくわからない話になってきたので、そんな感じで!
なんかいろいろ難しいなあ・・・・・いろいろ思うなあ・・・・。
2014-12-12 23:48
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