イノッチの心意気~中越地震で見たもの、番外編 [井ノ原快彦]
私は、たぶんジャニヲタで言う「河合担」ってものに分類されるんだと思う。
でも、河合「担」を名乗らず、完全に郁人に「おりる」宣言をせず、イノッチを応援し続けるには、ちょっとした思いがある。
中越地震の当時、イノッチは毎日「イノなき」を更新していました。
発生後1ヶ月ほどたった頃でした。
テレビも新聞も、全国版では、中越地震関連のニュースが減ってきていました。
しかし、被災地ではまだまだ、避難が続いていました。
イノッチは、舞台「ハンブルボーイ」の上演中。
もちろん、私も行くつもりでチケットをとっていました。
ところが、私は、被災地への応援取材に交代で入っていました。
被災地で4日ほど過ごし、一度戻って、また2、3日後には、被災地へ。
そのサイクルで仕事をしていたため、とても舞台を見にいける状態ではありません。
被災地で、小学生や中学生と話していると、よくジャニーズの話がでてきました。
「私も好きだよ~」と話すと、喜んで話をしてくれる子もたくさんいたし、ラジオでも、ジャニーズの曲のリクエストを耳にしていました。
ジャニーズで元気付けられる人が山のようにいる。
それを日々感じていました。
結局、舞台のチケットは、横浜に住んでいた妹に譲ることに。
チケットを送るときに、妹に1通の手紙を託しました。
昔と違うから、グローブ座受付で受け取ってくれるかわからないけど、
「中越地震の取材に入っていて、きょう来れなくなった姉からです。井ノ原さんに届けてもらえますか」
と、お願いして欲しいと。
手紙の内容は、
被災地では、まだ避難が続いています。
テレビは共有なので、楽しみにしている番組が見られない人もたくさんいます。
でも、携帯はつながります。
取材をしていると「イノなき」を楽しみにいている子もいました。
イノッチに元気付けられている人がたくさんいるはず。1ヶ月経過し、被災地のニュースが減ってきた今だからこそ、イノッチから、被災地へメッセージを送ってください。元気付けてあげてください。
というものでした。
妹からは、舞台もすごくよかったし、手紙もしっかり受付の人が受け取ってくれた、という報告を受けました。
それから3日後・・・・。
「イノなき」は、中越被災者へのメッセージでした。
もちろん、私の手紙を読んだからかはわかりません。
私の手紙をきっかけに、知人と連絡をとったのかもしれないし、
何の関係もなく単なる偶然かもしれません。
どうであれ、被災から時間が経過し、日に日にニュースで取り上げられる回数も減る中、中越被災地へ思いをめぐらせてくれたのなら、とてもうれしいことでした。
ただの偶然であったとしても、イノッチが少しでも被災地を気にかける瞬間があったとしたら、それだけで、十分。少しでも気持ちが届いたということだと思うから。
ファンの思いは、ファンが思っている以上にタレントに届いている。
そう感じたのは、このことがきっかけでした。
私は、イノッチの心意気のようなものを見た気がして
「この人をずっと応援しなくちゃだな」
と、強く思いました。
なので、私は、気持ちのゆるさはあっても、井ノ原快彦という人を応援し続けたい、と今でも思います。
本来、「カケモチ」や「担当複数名乗り」は好きではありません。
気持ちや行動に関して「河合担」であっても、積極的に私が「河合担」を名乗らないのは、そういう理由があります。
このへんの細かいニュアンスは、あくまで私のポリシーのようなものなので、わかる人にはわかってもらえるけど、理解できない、という人もたくさんいると思います。
ただの、私の心の中での問題であって、まあ、ある種の仁義みたいなものなのかな・・・と思っています。
今は、イノッチに対しても、V6に対しても、とってもゆるくなりました。
無理はしないし、一生懸命にもならない。
好きなように自由にゆるく応援しています。
「コンサートに必ずいく」「担当名乗る」とか、そういう形じゃなくても、「茶の間」に限りなく近い状態で、私がイノッチを応援し続けることには、これからも変わりはないと思います。
ほんと、ファンの思いは、思っている以上にタレントに届いているものだと思います。
彼らには、彼らにしかできないことがある。
きっと、今の被災地の思いも、ジャニーズのタレントには届いていると思います。
そして、これから、避難が辛くなってくる時期に、力と笑顔を与えてくれると思います。
・・・・・・・・・・・・・・
テレビも通常に近い状態に戻りました。
まだまだ大変なこととは思いますが、被災地でも少しずつ、ライフラインの復旧など、明るい話題がきこえてくるようにもなりました。
今回の「番外編」をひとつの区切りとして、
ブログを少しずつ、通常モードに戻していこうと思います。
でも、河合「担」を名乗らず、完全に郁人に「おりる」宣言をせず、イノッチを応援し続けるには、ちょっとした思いがある。
中越地震の当時、イノッチは毎日「イノなき」を更新していました。
発生後1ヶ月ほどたった頃でした。
テレビも新聞も、全国版では、中越地震関連のニュースが減ってきていました。
しかし、被災地ではまだまだ、避難が続いていました。
イノッチは、舞台「ハンブルボーイ」の上演中。
もちろん、私も行くつもりでチケットをとっていました。
ところが、私は、被災地への応援取材に交代で入っていました。
被災地で4日ほど過ごし、一度戻って、また2、3日後には、被災地へ。
そのサイクルで仕事をしていたため、とても舞台を見にいける状態ではありません。
被災地で、小学生や中学生と話していると、よくジャニーズの話がでてきました。
「私も好きだよ~」と話すと、喜んで話をしてくれる子もたくさんいたし、ラジオでも、ジャニーズの曲のリクエストを耳にしていました。
ジャニーズで元気付けられる人が山のようにいる。
それを日々感じていました。
結局、舞台のチケットは、横浜に住んでいた妹に譲ることに。
チケットを送るときに、妹に1通の手紙を託しました。
昔と違うから、グローブ座受付で受け取ってくれるかわからないけど、
「中越地震の取材に入っていて、きょう来れなくなった姉からです。井ノ原さんに届けてもらえますか」
と、お願いして欲しいと。
手紙の内容は、
被災地では、まだ避難が続いています。
テレビは共有なので、楽しみにしている番組が見られない人もたくさんいます。
でも、携帯はつながります。
取材をしていると「イノなき」を楽しみにいている子もいました。
イノッチに元気付けられている人がたくさんいるはず。1ヶ月経過し、被災地のニュースが減ってきた今だからこそ、イノッチから、被災地へメッセージを送ってください。元気付けてあげてください。
というものでした。
妹からは、舞台もすごくよかったし、手紙もしっかり受付の人が受け取ってくれた、という報告を受けました。
それから3日後・・・・。
「イノなき」は、中越被災者へのメッセージでした。
もちろん、私の手紙を読んだからかはわかりません。
私の手紙をきっかけに、知人と連絡をとったのかもしれないし、
何の関係もなく単なる偶然かもしれません。
どうであれ、被災から時間が経過し、日に日にニュースで取り上げられる回数も減る中、中越被災地へ思いをめぐらせてくれたのなら、とてもうれしいことでした。
ただの偶然であったとしても、イノッチが少しでも被災地を気にかける瞬間があったとしたら、それだけで、十分。少しでも気持ちが届いたということだと思うから。
ファンの思いは、ファンが思っている以上にタレントに届いている。
そう感じたのは、このことがきっかけでした。
私は、イノッチの心意気のようなものを見た気がして
「この人をずっと応援しなくちゃだな」
と、強く思いました。
なので、私は、気持ちのゆるさはあっても、井ノ原快彦という人を応援し続けたい、と今でも思います。
本来、「カケモチ」や「担当複数名乗り」は好きではありません。
気持ちや行動に関して「河合担」であっても、積極的に私が「河合担」を名乗らないのは、そういう理由があります。
このへんの細かいニュアンスは、あくまで私のポリシーのようなものなので、わかる人にはわかってもらえるけど、理解できない、という人もたくさんいると思います。
ただの、私の心の中での問題であって、まあ、ある種の仁義みたいなものなのかな・・・と思っています。
今は、イノッチに対しても、V6に対しても、とってもゆるくなりました。
無理はしないし、一生懸命にもならない。
好きなように自由にゆるく応援しています。
「コンサートに必ずいく」「担当名乗る」とか、そういう形じゃなくても、「茶の間」に限りなく近い状態で、私がイノッチを応援し続けることには、これからも変わりはないと思います。
ほんと、ファンの思いは、思っている以上にタレントに届いているものだと思います。
彼らには、彼らにしかできないことがある。
きっと、今の被災地の思いも、ジャニーズのタレントには届いていると思います。
そして、これから、避難が辛くなってくる時期に、力と笑顔を与えてくれると思います。
・・・・・・・・・・・・・・
テレビも通常に近い状態に戻りました。
まだまだ大変なこととは思いますが、被災地でも少しずつ、ライフラインの復旧など、明るい話題がきこえてくるようにもなりました。
今回の「番外編」をひとつの区切りとして、
ブログを少しずつ、通常モードに戻していこうと思います。
2011-03-22 23:37
nice!(1)
コメント(0)
コメント 0